タイトルと内容をリニューアルしました。
研究者妻の本音と頑張りをつづります。
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 2003年の元旦に採用の知らせを受け取り、ビザ申請へ。 この頃までは、まだ旅行代理店へ依頼してビザの申請ができました。 必要書類を一気に揃え提出。 世界情勢的にはかなり悪いタイミング。アメリカは戦争を始めるし、SARS でしたっけ?鶏インフルエンザは蔓延するしで、中々ビザがおりない。 結局友人によ~く調べてもらったら、大学内で書類が止まってたんだとさ ○| ̄|_。うちはJビザではなくH1-Bを申請していたので(これも私たちは何の事だかしらず、友人が私たちの将来を思ってこのビザにしていた)かなり時間がかかったようだ。 Jビザは条件によって多少違いはあるが、基本的には交換留学プログラム。 H1-Bは就労ビザなので、必要書類がJの倍以上あるとの事です。 (これらの情報はもちろんアメリカに来てから知りました) 夫の職場内では紆余曲折あって、アメリカへ行く事がやっと許されたのにビザを待ち続けてなんと出たのは2003年の8月頭だったかな?それから超特急で準備して出国しました。 ****************** 現在H1-Bの期限残す所あと1年ちょっととなり、このビザでよかったのかどうか考えるところですが・・・。 H1-Bビザの発給には制限があって、クリントンだったかブッシュだったかが決めたH1-Bビザ発給に伴う規則が終了し発給数が元に戻ったので、現在ではこのビザの取得は大変難しくなっている。 発給数は減り申請者はどんどん増えている。昨日ネットでちらっと見たら最後は抽選によって発給しているみたいです。 H1-Bはこの様な状況なので受付開始からすぐに枠がいっぱいになり、締め切りがとても早い。もし私たちがJからH1-Bへ切り替える必要があったら、無事に取れていたかは???です。 私たちがHビザを取得して渡米できたのは、きっと知らない部分で私たちにとって良かった事が多かったのだと思います(連邦政府と州への税金支払いはものすごく高くて痛いけどね) ***************** 写真は2003年4月 大阪造幣局の桜を見に行った翌日、大阪城?へ行った時のもの。この頃ビザはいつ出るんだぁ~!と叫んでいたな。 そういえば、渡米前デジカメで撮った写真って誰が保存してるの?私はCD持ってないし、夫のハードディスクの中?探さなきゃ。 PR |
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プロフィール
HN:
南 こうめ
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性別:
女性
職業:
主婦
趣味:
クラシック音楽を聴くこと。ウクライナイースターエッグ作り。小笠原流煎茶道
自己紹介:
夫と二人暮し。研究者の夫と共に2003年渡米。
2008年帰国。大阪在住。 2012年埼玉へ移動。 2013年9月スイス:ローザンヌへ移動。 2917年9月ドイツ:ユーリッヒへ移動。
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